平成20年 5月6月 展示のご案内




蜀山人 大田南畝
−大江戸マルチ文化人交遊録− 



 蜀山人(しょくさんじん)の名前でも知られる大田南畝(おおたなんぽ)は、江戸時代中・後期、下級武士でありながら、 狂歌師や戯作者、また学者としても人気を博したマルチな文化人です。この南畝を中心にして、武士や町人たちの身分を越えた 交流が生まれ、さまざまな絵画や文芸が花開きました。

 江戸時代研究者の中では非常に重要な存在として考えられている大田南畝ですが、これまでまとまった形での展覧会は開催されておらず、 また、現代の私たちにとってすっかり馴染みの薄い人物になってしまいました。

 本展では、大田南畝の活動を軸にしながら、武士や町人たちの身分を越えた交流関係、 さらにはそこから生まれた絵画や文芸などを紹介し、江戸の庶民文化が持つ多彩な世界を改めて見直します。



                                                                              展示期間:平成20年5月1日(木)〜25日(日)・6月1日(日)〜26日(木)
        ※展示替えあり(詳細未定)
 

※休館日・料金は、こちらをご覧下さい。 尚、5・6月の土曜講座日曜映写会はお休みいたします。

※この展示にあわせて図録を販売いたします。詳細は決まり次第ご案内いたします。


                                                                    ●石崎融思 「大田南畝肖像」(部分)(個人蔵)・・・新発見の肖像画














@江戸の庶民文化の大御所、大田南畝とは何者か?

 大田南畝は蜀山人の号でも知られており、中学校の歴史教科書にもその名前が載っていますが、現代の私たちにはすっかり馴染みが 薄くなってしまっています。蜀山人と聞いて、美食家で陶芸家の北大路魯山人と勘違いされる笑い話もしばしばあるようです。 落語が好きな方は、蜀山人の面白おかしい狂歌がしばしば噺に取り上げされるので聞き覚えがあるかもしれません。

 現代ではすっかり忘れ去れている南畝でありますが、さまざまな絵師や戯作者、学者など関わりの深く、実は、江戸の庶民文化を 語る上では決して外すことができない大御所ともいえる存在なのです。謎の人物・大田南畝の実像に迫る、日本で初めての本格的な 展覧会です。  



●北尾政演 『吾妻狂歌文庫』(東京都立中央図書館加賀文庫蔵) ・・・若かりし南畝の肖像。百人一首のパロディのような仕立て。                  











A昼は真面目な役人、夜は引く手あまたの文化人

 大田南畝の業績で最も知られているのは、五七五七七の歌を面白おかしく詠んだ狂歌でしょう。例えば、 「世の中は酒と女が敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたい」という歌には、時代を越えても変わらぬ面白さがあります。 大田南畝は、狂歌、さらには、狂詩や戯作など、笑いに溢れた文芸作品をたくさん執筆し、ベストセラー作家として人気を博し、 ついには物語の登場人物にもなりました。

 しかしそれはあくまで裏の顔。表の顔の南畝は、身分の低い幕臣(御徒歩職)として、70歳の高齢を過ぎても幕府への勤めに励んだ、 真面目で実直な役人だったのです。昼は真面目に仕事に励み、夜は大勢の仲間たちと戯れる文化人。二つの世界を南畝は巧みな バランス感覚で渡り歩いていました。  



                     ●喜多川歌麿 「三保の松原道中」(太田記念美術館蔵)・・・美人画の第一人者、歌麿が描いた錦絵。 南畝の狂歌仲間のために作られた。










B武士と町人、身分を越えた文化コミュニティ

 江戸時代は士農工商の身分の違いがはっきりと定められていた時代ですが、文芸や学問の世界では、 武士と町人がお互いの身分を気にすることなく、同好の仲間として交流をしていました。

 特に狂歌の世界では、地域ごとにグループを作り、面白おかしい名前を名乗りあって活動していました。元木網(もとのもくあみ)、 智恵内子(ちえのないし)、頭光(つむりのひかり)など、全くふざけた芸名が多々あります。まるで、ネット上で匿名で交流する、 そんな21世紀の文化のあり方をすでに先取りしていたかのようです。 その狂歌界で中心的な役割を担ったのが、四方赤良(よものあから)と名乗っていた大田南畝でした。


●喜多川歌麿 「夷歌連中双六」(大妻女子大学図書館蔵)・・・狂歌を双六に仕立てた巨大な摺物。


























 C浮世絵師と狂歌師のコラボレーション

 狂歌の世界は文芸という一つの枠に収まりません。喜多川歌麿や葛飾北斎など、浮世絵界の大物たちも狂歌の世界と密接に 関わっていました。 狂歌グループの仲間たちが浮世絵師に協力を依頼して、自分たちの狂歌の入った浮世絵や絵本をたくさん出版していたのです。 浮世絵師の中には、自らグループに参加し、狂歌を楽しんでいるような人もいました。  絵画と文芸、二つの異なるジャンルが結びついて新しい文化が花開いたのです。


                  ●左・葛飾北斎 「富嶽図」(太田記念美術館蔵)・・・北斎と南畝の貴重なコラボレーション
                  ●右・鳥文斎栄之 「胡蝶の夢」(太田記念美術館蔵)・・・人気者の南畝は数多くの浮世絵に賛を求められた。











D教養=遊びの文化

   ゆとり教育に端を発する学力低下が叫ばれる昨今、「教養」の価値が見直されています。しかし、幅広い知識を獲得したり、 豊かな人格を育成したりすることだけが教養を持つ意味ではありません。江戸時代には、先に紹介したように、文学や絵画、 歴史についての幅広い興味を持つ人たちがサークルを作り、真面目な和歌や絵画のパロディーを作って笑いあったり、 謎解きをしあったり、さらには仲間内で本を作って出版したりと、お洒落な遊びをしていたのです。教養が遊びにつながる、 そんな江戸時代の人たちの肩の力の抜けた姿勢は、現代人からみて学ぶところが多いでしょう。

●大田南畝 「墨水遊記」(個人蔵)・・・再発見された南畝直筆による隅田川の情景を詠んだ漢詩の巻物。










E浮世絵研究家・南畝

   東洲斎写楽といえば、謎の浮世絵師として、その正体を解き明かそうとする人たちの興味を惹きつけて離しませんが、 この東州斎写楽について語る際にまず引用されるのが、大田南畝の記した『浮世絵考証』という、浮世絵師についての記録です。 南畝は、狂歌や狂詩といった娯楽の文芸だけでなく、江戸の歴史や文化について深い造詣を示し、それを考察した随筆を数多く 記した学者としての側面も備えています。

 さらには、谷文晁や酒井抱一、亀田鵬斎といった江戸の一流の文化人とも親しく交流をしていました。南畝はまさしく マルチな才能を備えた人だったといえるでしょう。







F新発見の資料を紹介

  本展覧会では、新たに発見された南畝の肖像画や自筆の手紙、さらには、行方が分からなくなっていた南畝の書など、 貴重な資料を多数紹介いたします。江戸文学の専門的な研究者にとっても見逃すことのできない重要な展覧会となることでしょう。




           ●「大田南畝印譜」(大妻女子大学図書館蔵)・・・南畝が用いていた判子を捺したもの。 作品の真贋を見極める参考になる貴重な資料。                        







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浮世絵 太田記念美術館

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