平成19年 10月 展示のご案内





浮絵
 −江戸のパースペクティヴ−




 浮絵とは、西洋の透視遠近法(パースペクティブ)を導入して、空間の奥行や距離感を強調した絵のことで、江戸時代の中期、 八代将軍徳川吉宗の時代に大流行しました。浮絵という名の由来は、前景が画面の手前に浮いたように見えることから付いたものです。 また逆に遠景が窪まって見えることから「くぼみ絵」とも呼ばれました。

 はじめて浮絵を描いた絵師は、自ら「浮絵根元」と名乗った奥村政信(1686-1764)といわれ、また同時代に活躍した 西村重長(?-1756)も浮絵を得意としました。しかし、まだ彼らの時代は遠近の処理が未熟で、歌舞伎小屋の内部や妓楼の座敷といった 室内空間が主でした。その後、歌川派の開祖・歌川豊春(1735-1814)が出て、自然な遠近処理で屋外の広大な風景もあらわすことが できるようになるなど、飛躍的な発展を遂げました。また、葛飾北斎(1760-1849)も浮絵の発展に大きく寄与し、多くの浮絵を制作 しています。

 今回の展覧会では、構図を分析した図もまじえながら、政信、重長ら初期の浮絵から、北斎などの江戸時代後期の作品まで約80点 を紹介し、浮絵の遠近表現がどのように発展していったか探ってゆきます。

                                                                        鳥居清忠  「鶴亀貢太平記」 

展示期間:平成19年10月2日(火)〜26日(金)

※10月の休館日・料金に関しましては、こちらをご覧下さい。

★ 10月のイベント:太田記念美術館コンサート『浮世絵を聴く』 







T・浮絵黎明の時代


 江戸時代の中期、八代将軍吉宗のときに、日本にとってはたいへん新奇な西洋の画法である透視遠近法を使った「浮絵」が 大流行しました。
しかしながら、まだこの延享年間(1744−48)頃〜宝暦年間(1751−62)頃は、遠近の処理が未熟で、歌舞伎小屋の 内部など室内空間か、屋外でも両側に家並みのある場所が主でした。




左・奥村政信  「新吉原大門口中之町大浮絵」    
右・奥村政信  「見立十二段草子」
 






U・浮絵中興の祖・豊春の登場


 歌川派の開祖・歌川豊春は、透視遠近法をよく理解し、自然な遠近処理で屋外の広大な風景もあらわすようになるなど、 飛躍的な発展を遂げました。そのため、浮絵中興の祖とも評されています。






左・歌川豊春 「浮絵新吉原惣仕舞之図」    右・歌川豊春 「浮絵駿河町呉服屋図」







V・豊春以降の展開―浮絵から風景画へ―


 豊春が登場して飛躍的に進歩した浮絵が、その後どのように展開していったのか、そして浮絵から風景画へどのように変容して いったのか、辿ってゆきます。










葛飾北斎 「新板浮絵日本橋肴市繁昌之図」







●● これって日本で描いたの!? ●●


 一見西洋で刷られた版画のように見えますが、実はこれも浮世絵です。歌川豊春は中国の西洋風銅版画を参考にして浮絵を制作した と考えられており、こうした西洋の銅版画のような作品が多く遺されています。





左・伝歌川豊春 「浮絵アルマニヤ珍薬物集之図」      右・伝歌川豊春 「阿蘭陀フランスカノ伽藍之図」












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浮世絵 太田記念美術館

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