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 龍馬の見た江戸 -幕末の風景- 
  
  
       
 開館日赤字は休館日)
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● 入館料: 一般¥700 ・大高生¥500・小中生¥200

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(3月8、15、23日は休館致します。)

● 3月の土曜講座日曜映写会は開催いたします。

はじめに

 

①龍馬が眺めた江戸の風景

歌川広重「江戸名所 高輪秋の景」
 
 龍馬が江戸に初めてやって来た年に描かれた高輪の風景。東海道を旅してきた人は、高輪を通過し、江戸の町へ入ることになります。龍馬の江戸への第一歩もここから始まりました。

 政治や時事問題をそのままに絵画化することが難しかった江戸時代では、内容がすぐには分からないように趣向を凝らした「風刺画」というものが刊行されました。特に幕末では、幕府の政策を揶揄する作品や、さまざまな争いや事件を題材にした作品が数多く作られています。幕末の風刺画を通して、江戸の庶民たちが感じ取っていた歴史のうねりを紹介します。

●歌川広重「名所江戸百景 南品川鮫洲海岸」
 
 龍馬が初めて江戸を訪れた嘉永6年(1853)、ペリー率いる黒船が浦賀に来航しました。本図は、龍馬が警護にあたることを命じられた、土佐藩の下屋敷に近い品川沖の風景です。

珍しい龍馬の役者絵

2010年3月2日(火)~3月26日(金) 

 動乱の時代、幕末。江戸ではそのような状況の中でもさまざまな浮世絵が刊行されていました。世情を反映した風刺画や、町の様子を描いた名所絵を通して、坂本龍馬が活躍していた幕末の江戸の風景をさまざまな角度から浮かび上がらせます。

 龍馬は、嘉永6~7年(1853~54)と安政3~5年(1856~58)、剣術修行のため、故郷の土佐を離れ、江戸の地に滞在しました。その間、江戸の町のさまざまな名所を描いた風景画が刊行されています。歌川広重を中心とするそれらの浮世絵から、実際に龍馬が眺めていたであろう江戸の町の雰囲気が伝わってきます。

② 幕末の世情を反映した風刺画

歌川国芳「浮世又平名画奇特」
 
 一見したところ、大津絵のキャラクターたちを歌舞伎役者の似顔絵で描いた戯画ですが、当時、黒船来航であわてふためいている将軍の姿を風刺しているのではなかろうかという噂がたちました。

● 歌川広重「江戸名所 にほんばし江戸ばし」
 
 龍馬が千葉定吉の道場に通うために渡っていたであろう、江戸橋の図。龍馬が江戸にいた時に刊行されたものです。遠方に、日本橋、江戸城、富士山を望んでいます。

 明治20年、坂本龍馬の芝居が高知市で上演された時に刊行された役者絵です。井口村刃傷事件で切腹した友人の血で染めた下緒を握り締め、新たな国づくりを決意しています。近年発見された、龍馬を描いた貴重な役者絵です。

● 藤原伊之助「市川鶴吾郎の坂本龍馬」(個人蔵)

●河鍋暁斎「海上安全万代寿」
 
 文久3年(1863)、京都に上洛した14代将軍徳川家茂は、順動丸という蒸気船に乗り江戸へと戻りました。本図は、神仏に守られながら、江戸へと向かう順動丸を描いたとされています。龍馬もこの順動丸には何度か乗船しています。

● 展覧会の図録は作成いたしません。

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